コレクティブインパクト。それは様々な場所で活躍するセクターや関係者が互いに連携しあい、共同して複雑化する社会課題に取組むための枠組みです。このコラムではIKUNO・多文化ふらっとに関わるそのような多様な人々の「いくのパーク」への想いを届けます。
橋本真菜(IKUNO・多文化ふらっと 事務局スタッフ 子ども食堂・事業担当)
"混ざる"の対局にある言葉は、"線を引く"だろうか。
私たちは"線"を引く。
わたし/あなた、内/外、こちら/あちら…
意識的に、時に無意識に、私たちは"線"を引いている。
いくのパークにいると、子どもたちの柔軟さに日々驚かされる。
オープンスペースとして週に4日開放している「いくPAの図書室~ふくろうの森~」には、子どもたちが集まってくる。静かな子、しゃべり続ける子、走りたい子、ずっと笑っている子、一人ひとりとても個性的だ。子どもたちはバラバラでやってきたのに、ふとしたタイミングで声をかけあい、顔見知りになり、喧嘩して、そしてまた遊ぶ。あっという間に"線"はなくなり、混ざり合う。
毎週金曜日の夜に開催している「こども食堂~てんこもり~」に集まる子どもたちも、たくましい。高校生のAさんは毎週「料理しに来たったで~」とやってくる。Aさんは3時からの調理の時間に必ずやってきて、みんなで食べる晩御飯を大人たちと一緒につくる。「え~、みじん切り?めんどくさいねんけど!」と言いながらまんざらでもない。誰に指示されたわけでもなく、自ら選んだ役割を誇らしげに果たす。こども食堂に付きまといがちな「貧困で困っている子どもたち」というイメージは全く覆される。
「こども食堂~てんこもり~」には夕方5時以降、20代の大学生や社会人のボランティアがやってくる。そして、子どもと遊んだり、話をしたりして過ごす。忙しいはずの学生が頻回に通っている。知っている顔がいるから、子どもたちも安心して過ごせる。「毎週来るの、負担になってない?」と尋ねると、学生たちは「ここで自分を解放できてるんです。ここがないとしんどいですよ」と笑いながら言う。就活や卒論執筆でしんどい時期、子どもたちとの関わりから得る喜びに支えられているのだという。
支える側/支えられる側、なんて“線引き"は全くの無意味だと思うことがある。
「役に立てるなら」と電話をかけてきてくれたのは、居場所を利用する小学生の保護者だった。この1月から、すでに実施中のこども食堂とは別の新事業として、「おにぎりてんこもり」を開催している。台所のキャパシティに限界があり新規の募集を休止している前述のこども食堂に代わって、新たな子どもたちへおにぎりと居場所を提供するためだ。おにぎりをにぎる「おにぎりパートナー」を法人内で募集したところ、手を挙げてくれたのは保護者たちだった。保護者たちは自ら、「支えられる側」から、「支える側」に回ろうとする。
話は変わるが、いくのパークのある大阪市生野区には学童保育所がほぼゼロの状態だ※。子どもたちの放課後の居場所としては、学校内の教室を利用した「いきいき(児童いきいき放課後事業)」か、民間事業者の運営する「放課後デイ(放課後等デイサービス)」があるが、「いきいき」はその立地ゆえいわゆる“不登校”の子などが通いにくく、「放課後デイ」は療育手帳を持っているか、医師からの何らかの診断が下りている子でないと通えない。つまり、子どもたちの放課後の居場所には混ざり合わない"線"がある。
先日参加したシンポジウム「共にケアする地域をつくるーケアは誰が担うのか?生野ver―」(主催:大阪市生野区社会福祉協議会、NPO法人 FAIR ROAD)では、大阪大学の村上靖彦教授による「ヤングケアラー」をテーマとした基調講演の中で、ケアを家庭に閉じ込めず、社会に開いていくことの重要性と、そのために子どもが切り分けられずつながることのできる居場所の重要性が指摘された。これは、私たちIKUNO・多文化ふらっとが現在進行形で行っているまちづくりにつながっている。
まさしく「誰がいてもいい」場所として開かれているいくのパークには、文字通り“誰でも”来る。切り分けられない多様な人々が訪れ、出会い、混ざり合い、そして時に強くつながる。つながることで、お互いを知り合う。誰に指示されたわけでもなく、知り合った人たちは自分の状況を共有しあい、時に助け合う。最初は「支える側」だった人がいつの間にか「支えられる側」になり、存在していると思っていた“線”は見えなくなり、いつのまにか"混ざり合って"いる。それが今、いくのパークで起こり始めている。
わたしたちIKUNO・多文化ふらっとは、「多文化共生のまちづくり拠点の構築を通じて、誰もが暮らしやすい全国NO.1のグローバルタウンをつくる」ことをミッションとしている。しかし、「誰もが暮らしやすい」とは一体どんな社会の形だろうか、私自身も日々、目の前の出来事と格闘しながら、目指す未来の形を手繰り寄せているところだ。
対等で自発的な支えあいが自然に生じ、支えたり、支えられたり、役割が固定されない関係性で成り立つ社会。それは、日本社会が失ってしまった地域コミュニティを更にアップデートした新しい“コミュニティ”の在り方だ。「誰がいてもいい」場所であるいくのパークでこそ起きるそんな“混ざり合い”は、私たちがめざす「まちづくり」のひとつのヒントになっている。
※(生野区内には朝鮮学校の主催する学童保育所が2つあるが、朝鮮学校敷地内にあるため、朝鮮学校に通っていない子どもたちが通うのにはハードルが高いと予想される)